祈り
しばらく迷っていたんたけれども、やっぱり書くことにしました。
「こういった内容を記事にすること自体どうなのか」という疑問は尽きないのですが、今日聞いた話に感銘を受けたことと、彼を忘れないためにも、自分の日記として綴ることにしました。
この画像にあまり意味はないのですが(きちんと停車して撮りました。)、無機質な白黒写真、というのがこの時の僕の気持ちを代弁しているような気がして。
教え子が若くして鬼籍に入りました。
「順番を守れよ…」「生き急ぎやがって…」
葬儀に行くまでは、そんなセリフで自分の悲しさを紛らわせながら、でした。何より受け入れ難かった。御遺族のことを思えばなおさらでした。
ところが、法話を聞いてその考えはちょっと違うことに気付かされました。
「きっと、ここにいらっしゃる方も○○さん(故人の名)の死を『どうして』『なぜなんだ』と受け入れられない気持ちがあると思います。でも、それは○○さんも同じなんですね。きっと『どうして死ななければならなかったのか』という思いでしょう。」
「お釈迦様は35歳で悟りを開いたあと、お気持ちの整理をされて80歳で旅立たれました。お釈迦様ですら45年かかったのですから、我々の気持ちが整理されないのは当然といえば当然のことです。」
「ですから、遺された私たちがまず、時間はかかりますが受け入れてあげる。節目節目でお祈りをしながら、『心安らかに旅立ってね』という思いを届けてあげましょう。」
そう。きっと彼も思いは同じだったはず。自分だけが遺された寂しさをぶつけるのは、彼もかわいそうですよね。
まだ、整理はつきません。
熱心な仏教徒ではないけれど、節目で彼を思い出すことはできます。そして祈る。
彼の分までしっかり生きなければ。
古来、神事にお酒は欠かせないアイテムでした。この日は彼を思い出して一献。