白い翼

徒然なるままに。ときどき仕事。

明日

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ベッドに横になって、ふと考える。

 

明日、もし何かの弾みで動けなくなったら、自分は後悔するだろうか?

 

この弱い体と付き合って40年あまり。今日も腹痛で昼下がりが台無しだ。ちょっと調子に乗ると、すぐにダメになる。週末に食べたチヂミにハイボールに日本酒。至って普通な居酒屋メニューを、家で再現しただけなのに。ハイボール一杯、日本酒1合。決して暴飲暴食ではない。

 

常に体に「中庸」を求められる。それはそれで辛いのだ。飲みに行っても「もっと飲みましょう!」「まだまだ行けるでしょ!」っていうのが1番辛い。おかげさまで酩酊には強いが、アルコールの刺激に腸がやられる。酔ってないのではなく、酔いたくても酔えない。腹一杯食べたいが、食べられない。

 

そんな弱さだから、いつか動けなくなるんじゃないか、という漠然とした不安が常につきまとうのだ。椎間板の手術をしてからは、体の内も外も弱くなった。幸い、色んなことに後悔はない。充実した人生を送ってこられたと思う。仕事についても同じだ。自分が必要とされているという感覚も希薄な分使命感もあまりないが、中途半端な仕事だけはしないように、自分なりにきっちりとはやっているつもりだ。

 

家族や親は悲しむだろう。それは申し訳ないと思う。しかし、そこをして自分の気力に繋げられるか、というと……。まあ、三途の川を渡る順番は守りたいとは思うが。

 

とりあえず横になろう。目をつぶろう。このまま妄想しても、暗い淵に引き込まれるだけだから。

残ったもの、残らなかったもの。

2022年5月。

「人生は歳を重ねるごとに、過ぎ去る時が早く感じる」と誰かが言っていた。全くその通りだと思う。現にもう2022年は3分の1が終わった。そして、あと3分の1が終わる頃には、自分も43歳。平均寿命の約半分を経験するのだ。「人生100年」というけれど、100歳まではどうだろうか。今の自分の体調、体力を考えると、100まで生きていたとしても1日の大半はベッドの上だろう。

それなりにいろんなことを経験した。今も、今までの人生に悔いはない。こう書くと怪しげな雰囲気になってくるが、生き急いでるわけではなくて、「充実した日々を送らせてもらっている」ことへのある意味「感謝」みたいなものだ。まぁ、100歳を目指すかどうかは別にして、今いることに感謝、なのだ。

唯一これからの人生に何かあるとすれば、より充実させるための「整理整頓」は必要だと思う。「あれ、やってみたいな」ということはいくつもあるし、「これ、再開したいな」というものもたくさんある。どっちつかずにならないように、選んでおこう。そう、これは自分のこれからに対するメモ書きみたいなものである。

 

残ったもの。

 

・音楽全般(Apple社でいう「ミュージック」)

カセットにMDに、借りてきたCDをダビングしてはまた借りてきて、という青春時代だった。今も、サブスクを駆使して「その時聴きたい曲」のプレイリストを作るのが楽しい。これは一生ものになるのではないかと思っている。人生に音楽は欠かせない。

・ドライブ

2時間なら圏内。若ければもっと行けた。今はこれが精一杯かな。1時間だと生活圏がチラチラ見えてしまう場所までしか行けない。ひょっとすると、これは加齢による体力低下で、ゆくゆくは「残らなかったもの」に入ってしまうかもしれない。

・ゲーム

新旧とわず、まだまだ続けていける。残念ながら機械(ハード)の方がダメになってしまったものも少なくないが、他ハードへの移植版も駆使しながら続けていけるのではないか。音楽の次に、一生残るだろうと思われる。

・読書

やっぱり自分は紙なのだ。余談だが、どれだけ電子書籍が一般化しても紙を選んでしまうと思う。めくった感触がいいとか自分のものになっている感じがするとか、そんなことではない。電子書籍に魅力を感じない。それだけだ。本は楽しい。静かに自分と向き合える。ゲームと違って目の疲れを気にすることもない。癒しなのだ。

・日本酒

一時期に比べて大きく量は減った。体の「声」を前より聞けるようになったのだと思う。無理のない範囲で楽しみたい。幻とか名酒とかもいいのだけど、安定して飲めるものがいい。まだ、巡り会っていないかな。

 

残らなかったもの。

 

ブラスバンド

小、中、大学、大人とやったのに、これについては全く残らなかった。やりたいとも思わない。「やりきった」ともまた違う。多分、感受性が豊かな若いうちに、ブラスバンドでの成功体験を味わえなかったことが大きい。結果、「好き」にならなかったし、なれなかった。常に「勝利」が求められたり、「至高」が求められたりする環境が苦しかった。「なぜ自分はできないんだ」という自責の念すら湧いてくる。だから後悔や懺悔の念の方が強いのだ。周囲はそれほどプレッシャーをかけているつもりはなかったのかもしれないけど。いい経験はさせてもらったが、やっぱり見ると辛いので、押入れの楽器をどうしようか悩んでいる。

・競馬

やっている同僚がいて、「人生経験だな」と思って1年間はG1を中心に場外馬券場に通ってみたが、そこで終了。どう予想しても「固い」組み合わせしか考えられない自分に気づいた。そして、当たったとしてもそんなに嬉しくなかった。ハイリスクハイリターンみたいな購入の仕方ができないし、「どきどきしている自分を味わう」という経験の楽しさもわからなかったからかもしれない。サラブレッドは好きだった。競馬場より、動物園や牧場向きなのだ。

・たばこ

解説もいらない。カッコつけていた時期に、習慣化しなかっただけ。習慣になる前に、吸った後の頭痛がひどくてダメだった。合う・合わないって、ニコチンにもあるんだなぁ。

・スポーツ観戦

何回かバスケットボールの試合を見に行った。子供の頃からバスケは大好きで、プレイヤーにこそならなかったものの、今でも「チャンスがあれば」とは思っている。また、職場にもプロ野球観戦を趣味とする人がいる。で、結論から言うと「スポーツ観戦が好き」≠「生で見るのが好き」ということ。自分は、配信で十分だった。コーラ片手に応援するのは自分の部屋でいい。うれしいような悲しいような。あ、でもレジェンド折茂武彦引退試合は行きますよ。他にもプロ野球とかプロレスとか誘われるんだけど、多分行かない。

新日本プロレス(というか、今のプロレス)

自分のプロレスの灯は2000年代でほぼ消えている。じゃあ総合格闘技かと言われれば、そうでもない。オールドプロレスが好きだった。まじで体と体がぶつかっている感じに、スケールの大きさを感じたのだ。今のプロレスの、技の応酬;阿吽の呼吸的な攻防が、あまりに出来すぎていて嫌なのだ。もちろんプロレスだから、ブックはある。それはいい。まあ、昭和や平成のようにガチでぶつかっていくと本当に亡くなってしまう人もいたから、その反省もあるのだろうか。だから、これも(過去の)配信でいいのだ。「64(シックスティフォー)ーーー!」とか(実況が)叫びながら、曙が浴びせ倒しを仕掛けている頃が最後だろうか。あれはあれでよかった。猪木が拍手しながらリングを周回して挑発する姿なんか、今でも見ていてシビれる。ありがとう、昭和のプロレス。

成長しねぇなぁ。

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前回からわずか2ヵ月。

またやっちまった。

扁桃腺。

毎日手洗い・うがいは欠かさなかったのに。施設に入るときは欠かさず消毒。移動は車で、公共交通機関も使わず。車内で物を食べるときは(出勤早くていつも朝ごはんは車内)、アルコールティッシュで拭いてから食べている。これ以上のウイルス対策ってある?

 

あとは何だろ。7時半に出勤して8時半に退勤してるのが2週間続いた、とか。ちなみに土曜も休日出勤したから6連勤→5連勤とか?

 

ちなみに先輩は土日なく14連勤がざら。

 

……誰か止めて。ほんと。

 

さて喉はというと、素人でもわかるくらい、右の扁桃腺に直径5ミリくらいの白い点が3つ。化膿してますな。もう、扁桃腺炎ユーザーとしては(そんなのあってもたまらんけど)めちゃくちゃベタですよ。

 

今のところ40度だけど、ダルさは全くなし。流行り病ならどうしようかと思ったところでした。まだ、ロキソニンはいらんな。下手に下げると、上がる時の悪寒が半端ないから。

 

あー、やっぱり手術して取るしかないのかなぁ。曾祖母は

人の体に無駄なもんなんてねぇよ。

って言ってたらしい。

 

おおばあちゃーん。

ひ孫は40過ぎてもまだ体弱いわー。

 

でもね、負けてないよ。熱に。

これからうどん食べて、熱と戦うぞ!

 

 

 

 

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その後。

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(layoutで繋いでみた)

いやー。人間の治癒力って、ホント素晴らしいですね。

前回ほどだるく無いから、今日はいけるかも、と思ってロキソニンを飲まなかったら、見事に1日で2℃下がった。そして、その翌日にはもう普通通り。明日、仕事行けちまうぜw

 

喉の痛みも既にほとんどない。

つまり、自分にとっては扁桃腺が「疲れの防衛ライン」になってるってこと。これが腫れるってことは、体力(免疫力)やばいくらい疲れてるぞーってことなのか。労らないとな。

追悼

突然の訃報。

 

西村京太郎氏が、91歳の生涯を閉じられた。昭和40年「天使の傷跡」で推理作家として活動してから、実に半世紀以上もミステリの第一線で活躍されてきた。謹んでご冥福をお祈りしたい。

 

西村氏の著作に敬意と感謝を述べる意味で、今日は自分と西村ミステリの出会いを振り返ってみたい。それにはまず、自分と推理小説(以下、ミステリ)との出会いに触れなければいけないだろう。

 

1996年のある日。放送部だった私は、放課後いつものように放送室に向かった。放送部というと日常活動は昼休みと思われがちだが、我々の部には「声出し」や「アナウンス読本」といった「基礎練習」があったし、アナウンス部と技術部に分かれて、日々より良い放送を作るという向上心もあった。(清廉さに若干の誇張があるが、青春の思い出は誰にとっても美しいものであろう。ご容赦いただきたい。)だから、他の運動系や文化系の部活がそうであったように、毎日部室(放送室)に向かうことが当たり前だったのだ。

 

ただでさえ狭い放送室の、さらにせまい入口を抜け、いつも通り荷物を置く。何気なく部室の隅のカラーボックスに目をやると、一冊の本が目に止まった。

 

 「十角館の殺人」。何というストレートな題名だろう。しかし、そこに惹かれた。作者は綾辻行人とある。聞いたことがなかった。小学校の頃はよく図書室からホームズを借りたことを思い出し、「これ、誰かの本ですか?」と先輩に尋ねた。誰もが首を振る。どうやら、卒業した先輩の誰かが置いて行ったようだ。シンプルなカバー絵が、かえって作品の興味を掻き立てるのも手伝って、私はその本を借りていくことにした。その後私がどうなったかは、綾辻氏の現在の立ち位置を考えれば想像に難くない。あっというまに「アヤツジスト」となった私は、その後も「水車館の殺人」「迷路館の殺人」「人形館の殺人」と読み進めたのだった。

 

 こうして、私は「新本格ムーブメント」の1ファンとなり、現在に至るまで我孫子武丸氏や有栖川有栖氏の本を買って読んでいる。本当に幸せな出会いだった。

 

 ただ、(こういっては失礼にあたるかもしれないが)何事にも「疲れ」が出る瞬間はある。

 

 年齢的に責任のある立場に立つことが多くなったころだろうか。新本格の「精巧なプロット」「読者を最後にあっと言わせる仕掛け」「まさかの展開」「読者との犯人当て勝負」のような、グイグイくる“圧”に押し負けている自分がいた。ちょっと距離を置こう、少し肩の力を抜いて読めるミステリはないものか、と思い始めたのである。

 そういえば自分が子どもの頃は、俗にいう2時間ドラマが毎日のように放映されていた。開始数分で事件が起き、故・渡瀬恒彦さんや船越英一郎さんが演じる刑事が犯人を追い詰めていく。ドラマが1時間立った頃には視聴者も犯人に薄々気がついているが、なぜか最後まで見てしまう面白さがあった。

 自分が今読んでいるミステリとは一線を画すものの、2時間ドラマも立派な推理ものである。その原作は、それまで読んだことがなかった。子どもの頃のドラマの原作だから、当然一般の書店より古本屋だ。古物店は趣味のゲームソフトしか見てこなかったが、今日は2時間ドラマの原作、十津川警部を探しに行こう。

 近所の古本屋に行って驚いた。こんなにも西村京太郎氏の作品があるとは思いもしなかったのだ。この日は、自分の地元である北海道が関係している著作をいくつか購入して帰宅した。

 

 本格ミステリ作家たちの後書きにしばしば出てくる、鮎川哲也氏によれば、

私は作家に対して安易にレッテルを貼ることに必ずしも賛成ではないのだが、敢えて言うならば西村氏はサスペンス派の作家に分類するのが正しく、本格派呼ばわりをされては、この作者は何かと不自由を感じることだろう。(「北帰行殺人事件」;解説より 光文社文庫、2010年)

とある。自分は不勉強であるが、鮎川哲也氏はおそらく本格ミステリの大家であろう。その彼が、後段敬意を表しつつ自分達とは違うと語っている。このことからも、西村氏の著作が私の求めていた「本格ではないミステリ」であることを証明になるのではないか。

 とはいえ、引用した「北帰行殺人事件」は最後に大きなどんでん返しが待っているし、「殺しの双曲線」(講談社、1979。新装版は2012)は本格も真っ青の「吹雪の山荘」が舞台である。それでいて、サスペンスに必要なスピード感のあるストーリーが共存しているのだから、氏の作品が長く愛されているのも頷ける。

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一度ハマったら集めてしまう私。

 ここ最近は新型コロナウイルスの影響もあり、自粛が続いている。それに比例するように、私も十津川警部と共に本の中で「旅」に出ることが多くなった。この「旅」に自粛はない。西村さん、私もそちらの世界に行くまでは、ずっと作品と共に「旅」を楽しもうと思います。どうか安らかにお眠りください。そして、ありがとう。

これは自分のせいじゃない(と思いたい)

便利なもので、こうしてブログを書いていると、自分が過去どれくらいのペースで体調を崩しているかがわかる。

 

algieba79.hatenablog.jp

ふむ、直前は3年前か。まあ、いいペースかもしれない(何が)。この頃はまだ新型コロナウィルス感染症が出ていないから、手洗い・うがいやアルコールといった予防策は取れていない。逆に言えば、ここ2年は腰痛以外大きく体調を崩すことも無かった。

そして、今回。

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同じ扁桃腺炎という診断。まあ見事に上がっている。救いなのは、前回は解熱剤を服薬したら反動かさらに高い熱になっていて、点滴を打ちに行ったけど、今回はまあ、そうでもない。最高到達点は39.7℃。これが株なら即売りだよねぇ。(株詳しくないけど)

 

今回、「自分のせいじゃない」と言ったのは、いくつか理由があるからなのだ。

 

1.予兆が無かった

グラフが切れているが、違和感に気付いたのは13日の通勤中の車。「あれ、何か寒いな」と思ったのである。折しも、日本列島大寒波が来ていたこともあり、「今日は冷えるなぁ」程度の自覚しかなかった。念のため、職場で熱を測ったら、37.8℃だったのである。今のご時世、疑わしきは帰宅せよ。上司に相談して、すぐにかかりつけ医へ向かった。

 

2.最善の策は取っていた

今やどこでも「消毒用アルコール」がある。私も、家に帰ったら手洗い・うがい、職場ではマスクとアルコールは欠かさなかった。にも関わらず、である。これは仕方ない。

 

3.寒波の影響で車が埋まる

話は前後して、12日のこと。早めに職場に着いた自分は駐車場の様子に唖然とした。除雪が全くされていないのだ。市内はどこもかしこも除雪が追いついていない程の雪。そりゃ、都合よくうちの職場だけセーフ、はありえないよね。とりあえず1番乗りだし、屋根のあるところまで行ければ…と考えたのがまずかった。この日の雪はいわゆる「ベタ雪」。水分が多く、雪像を作るのに最適な状態なのだが、この雪が車を進めれば進めるほど車体の下に嵩んでいく。とうとう、エアロパーツの下に雪が重なり、車が浮いてしまったのだ。こうなると、4駆だろうがダメで、小1時間ほど重たい雪と格闘せねばならなくなったのである。日頃慣れないことに加え、仕事でも定時には帰れず、この日は相当疲れていたと思う。

 

そんな訳で、疲れて抵抗力が落ちたところに細菌が刺さってきた。自分の体調を過信してた前よりも、まあマシである。こうやって人間、成長していくのかもしれない。

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今回は投薬からどれくらいで解熱の加減になるかも記録している。自分の場合、大体4時間くらいだった。

 

おい、細菌よ。俺も進化してるってことだ!何とか乗り切って、楽になってやるからな!

孤独のグルメ

こんなご時世だからこそ、僕は飲食店を応援したい。

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マジで、お客さんがいないと死活問題である。幸いにして自分はそういった仕事ではない。だからこそ、だ。

 

「平日飲むための口実」

「結構な御身分で」

 

批判もあるかもしれない。それは甘んじて受けるとして。

 

新型コロナウィルス感染症が流行り出した2019年の冬あたりから、僕の1人飲みも加速した。ポジションが中間管理職的になったこともある。簡単に後輩を誘えなくなってしまった。自分の変な思い込みもあるけど、「上司に言いにくいこともあったよなぁ」「若い連中で盛り上がりたい時もあるよなぁ」と、自分の若い頃に照らして考えた結果だ。

 

おかげで、いいお店も見つけた。時々「後輩を誘ったら」なんてことも考えるけど、やめている。彼らには彼らの世界が、きっとあるに違いない。

 

そんな訳で、今日も急な出張と共に、孤独のグルメである。日本酒と蕎麦の相性は、やっぱり最高だ。

旅行

お題「好きなシリーズもの」

今、イスタンブールを過ぎて、ギリシャからイタリアへ渡るところだ。

 

これが現実なら、様々に意見もいただくところだが、そうではない。

 

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沢木耕太郎さんの名著、『深夜特急』の話である。

もともと旅行好きの私は、歳を重ねるごとに道祖神の導きが強くなるようで、ここ数年は海外志向こそなくなったものの「ザック片手に日本一周」みたいなことを本気で思うようになった。いい中年なのに。サイコロを振って深夜バスで旅をしたいのだ。まじで。

 

ある意味、逃避なのかもしれない。

 

仕事も家庭も放り投げたら…という、あってはならない事態を妄想するのもまた楽しい。それくらいの逃避は許して欲しいのである。安心・安全は絶対条件としながらも、「明日のことは明日決めればいい」というところに身を置いてみたくなる矛盾。そんな心の隙間を、この本は埋めてくれた。先月まで入院、自宅療養という限られた世界にいた私に、外界の、しかも海外の風を感じさせてくれたのだ。

 

沢木さんが旅をしたのは1970年代だから、現実と隔世の感があるのは否めないが、(例えば、アフガニスタンの章では自然豊かな描写に心が洗われるが、今はどうなのだろう、とか。)根本的な国民性やそこに流れる風土そのものは変わらないのではないかと思う。私たちだって、スマホやインターネットの世界になったが、それで個人主義が徹底したかと言われればそうではない。「みんながマスクをするのなら、みんなでマスクをしよう」みたいな「和をもって尊し」という精神性は変わっていないのだから。

 

少々脱線したが、このシリーズの本当の面白さは、いつしか自分が「私」(=沢木さん)になっていくことである。出てくる海外の描写、そこに息づく人々の暮らしに「私」がどう感じ、どう接しているかをなぞっていくうちに、深い共感が生まれていくのだ。この面白さは、沢木さんの作品に共通して言えることかもしれない。プロボクサー、カシアス内藤の隆盛を追った『一瞬の夏』もまた、リングサイドから、ジムの片隅から彼を見ているような錯覚に陥りそうになった。

 

閉塞感の中で明かりを灯してくれた深夜特急の旅も、あと1巻で終わる。買いたいような、買いたくないような、複雑な気持ちだ。

 

海外とは行かなくても、いつか、ザック片手に日本一周をしたい。車で北海道を一周できたのだから、きっと出来るはずだ。

 

…お金は、必要だが。