白い翼

徒然なるままに。ときどき仕事。

残ったもの、残らなかったもの。

2022年5月。

「人生は歳を重ねるごとに、過ぎ去る時が早く感じる」と誰かが言っていた。全くその通りだと思う。現にもう2022年は3分の1が終わった。そして、あと3分の1が終わる頃には、自分も43歳。平均寿命の約半分を経験するのだ。「人生100年」というけれど、100歳まではどうだろうか。今の自分の体調、体力を考えると、100まで生きていたとしても1日の大半はベッドの上だろう。

それなりにいろんなことを経験した。今も、今までの人生に悔いはない。こう書くと怪しげな雰囲気になってくるが、生き急いでるわけではなくて、「充実した日々を送らせてもらっている」ことへのある意味「感謝」みたいなものだ。まぁ、100歳を目指すかどうかは別にして、今いることに感謝、なのだ。

唯一これからの人生に何かあるとすれば、より充実させるための「整理整頓」は必要だと思う。「あれ、やってみたいな」ということはいくつもあるし、「これ、再開したいな」というものもたくさんある。どっちつかずにならないように、選んでおこう。そう、これは自分のこれからに対するメモ書きみたいなものである。

 

残ったもの。

 

・音楽全般(Apple社でいう「ミュージック」)

カセットにMDに、借りてきたCDをダビングしてはまた借りてきて、という青春時代だった。今も、サブスクを駆使して「その時聴きたい曲」のプレイリストを作るのが楽しい。これは一生ものになるのではないかと思っている。人生に音楽は欠かせない。

・ドライブ

2時間なら圏内。若ければもっと行けた。今はこれが精一杯かな。1時間だと生活圏がチラチラ見えてしまう場所までしか行けない。ひょっとすると、これは加齢による体力低下で、ゆくゆくは「残らなかったもの」に入ってしまうかもしれない。

・ゲーム

新旧とわず、まだまだ続けていける。残念ながら機械(ハード)の方がダメになってしまったものも少なくないが、他ハードへの移植版も駆使しながら続けていけるのではないか。音楽の次に、一生残るだろうと思われる。

・読書

やっぱり自分は紙なのだ。余談だが、どれだけ電子書籍が一般化しても紙を選んでしまうと思う。めくった感触がいいとか自分のものになっている感じがするとか、そんなことではない。電子書籍に魅力を感じない。それだけだ。本は楽しい。静かに自分と向き合える。ゲームと違って目の疲れを気にすることもない。癒しなのだ。

・日本酒

一時期に比べて大きく量は減った。体の「声」を前より聞けるようになったのだと思う。無理のない範囲で楽しみたい。幻とか名酒とかもいいのだけど、安定して飲めるものがいい。まだ、巡り会っていないかな。

 

残らなかったもの。

 

ブラスバンド

小、中、大学、大人とやったのに、これについては全く残らなかった。やりたいとも思わない。「やりきった」ともまた違う。多分、感受性が豊かな若いうちに、ブラスバンドでの成功体験を味わえなかったことが大きい。結果、「好き」にならなかったし、なれなかった。常に「勝利」が求められたり、「至高」が求められたりする環境が苦しかった。「なぜ自分はできないんだ」という自責の念すら湧いてくる。だから後悔や懺悔の念の方が強いのだ。周囲はそれほどプレッシャーをかけているつもりはなかったのかもしれないけど。いい経験はさせてもらったが、やっぱり見ると辛いので、押入れの楽器をどうしようか悩んでいる。

・競馬

やっている同僚がいて、「人生経験だな」と思って1年間はG1を中心に場外馬券場に通ってみたが、そこで終了。どう予想しても「固い」組み合わせしか考えられない自分に気づいた。そして、当たったとしてもそんなに嬉しくなかった。ハイリスクハイリターンみたいな購入の仕方ができないし、「どきどきしている自分を味わう」という経験の楽しさもわからなかったからかもしれない。サラブレッドは好きだった。競馬場より、動物園や牧場向きなのだ。

・たばこ

解説もいらない。カッコつけていた時期に、習慣化しなかっただけ。習慣になる前に、吸った後の頭痛がひどくてダメだった。合う・合わないって、ニコチンにもあるんだなぁ。

・スポーツ観戦

何回かバスケットボールの試合を見に行った。子供の頃からバスケは大好きで、プレイヤーにこそならなかったものの、今でも「チャンスがあれば」とは思っている。また、職場にもプロ野球観戦を趣味とする人がいる。で、結論から言うと「スポーツ観戦が好き」≠「生で見るのが好き」ということ。自分は、配信で十分だった。コーラ片手に応援するのは自分の部屋でいい。うれしいような悲しいような。あ、でもレジェンド折茂武彦引退試合は行きますよ。他にもプロ野球とかプロレスとか誘われるんだけど、多分行かない。

新日本プロレス(というか、今のプロレス)

自分のプロレスの灯は2000年代でほぼ消えている。じゃあ総合格闘技かと言われれば、そうでもない。オールドプロレスが好きだった。まじで体と体がぶつかっている感じに、スケールの大きさを感じたのだ。今のプロレスの、技の応酬;阿吽の呼吸的な攻防が、あまりに出来すぎていて嫌なのだ。もちろんプロレスだから、ブックはある。それはいい。まあ、昭和や平成のようにガチでぶつかっていくと本当に亡くなってしまう人もいたから、その反省もあるのだろうか。だから、これも(過去の)配信でいいのだ。「64(シックスティフォー)ーーー!」とか(実況が)叫びながら、曙が浴びせ倒しを仕掛けている頃が最後だろうか。あれはあれでよかった。猪木が拍手しながらリングを周回して挑発する姿なんか、今でも見ていてシビれる。ありがとう、昭和のプロレス。