コロナ禍に思う
3月。
…あ、もう終わるけど。
2月末から始まった自粛ムード、休校。誰もが耐えたひと月だと思う。
みんなの我慢が実ったのか、北海道はやや収束してきた感もあるけど、まだまだ先はわからない。人口は20倍、面積は1/130の東京都に、同じ対策は難しいだろうなぁ、と心配している。
今年は卒業生を送る立場。縮小された式の中で
「担任からの一言を入れて、式を始めましょう。」
という事になった。
いつもなら湧き上がってくる思いが、今日はなかなか出てこない。在校生や校舎にお別れをする1カ月って、大事だったんだなぁと改めて思った。「切り替え!」とか「気持ちの整理を。」とか言ってる自分が、実は一番この時間を必要としてたんだという事も。
苦し紛れに、ふと出てきた言葉。
「コロナウィルスのせいで、みんなはいつも通りの卒業式を迎えられなかったね。患者さんの中には苦しんでいる人もいる。決していいことではないけれど、せめて今は、このマイナスをプラスにかえられたら。」
「今、世の中には何十万人と同じ思いをしている卒業生がいるはず。『卒業式、どうだった?』とか、『コロナでみんな大変だったよね。』っていう共感ができれば、新しい出会いの入り口に出来るんじゃないかな。そこから、人の輪を広げてほしいです。」
「もちろん、体調には十分気を付けて。これからも活躍を祈っています。」
こんなことを、話した気がする。
〇〇世代、っていうところに、ウィルスが入るのはシャクだけど、だったらコミュニケーションツールにしてしまえばいい。自分たちはコロナに負けずに卒業してきたぞ、っていうプライドすら持ってもいい、くらいに思ってます。
ただじゃあ起きないよ。人間。
…そんな大したことではないか。
まあでも、悲観的人間が、何とか絞り出した楽観論です。
(シロノワールは思考の糧となりました)
あと、もう一つ。
縮小ムードでも感動して、とにかく職員の皆さんが温かい送り出そうとしてくれたことに、本当に感謝しています。
ん。
…じゃ、今までのは何だったんだ。
卒業式の在り方、っていうのを根本から見直したひと月。「せめて、これは残そう。」というものだけになっても、みんなの気持ちは互いに十分伝わったのでは?
省かれた「合唱」「呼びかけ」。
自分は、今までそれらの意味も十分理解させないまま、やる事だけに追われてはいなかったか。
ちょっと飛躍するけど、これから始まる入学式や運動会、その他様々な行事も、何らかの見直しを強いられる年になると思う。僕たちは今、コロナのために「行事の本質って何?」という大きな問いに答えていく必要があるのではないだろうか。
「当たり前を疑え」って、こういう事なんだね。
さて、ここから先は偶然ブログにぶつかった卒業生へ。
つまずいたら、いつでも帰っておいで。
「RPG」に、寄り道はつきものです。
君たちの笑顔で、私も元気が出るから。
#卒業 #卒業式
#コロナウィルスに負けるな