吟醸

地域とゲームと。ときどき仕事。

町内会とPTA

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季節のイメージです。

 

今日はルポ風に。

 

非自治会住民は「ごみ捨て場使うな」 トラブルの現場は(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース

 

このニュース、皆さんはどう感じられただろうか。

 

率直なところ、私は

 

「いいの、いいの。何もできなくてもさ。とりあえず(自治会)入んなよ。で、ゴミも出そう。後は出来る人でやるから。ね?」

 

と言ってあげたい。現に、このニュースの方は「集積所の掃除はします」とまで言ってくれている。それだけでも貴重なのに。

 

私が住む地域は、おかげさまでこうしたトラブルはない。

 

今は交通機関で通勤しているが、雪が積もっても無事に1km弱を歩けるのは、家の前を除雪するついでに歩道もやってくれている地域の人のおかげだ。だからこそ、自分ができる時には、(それが何年も先だとしても)必ず参加したい。

 

今は、地域のお祭りを手伝ったり、資源回収に協力したりしている。ささやかではあるが。

 

こうした善意のリレーであったはずの「共助」(=きょうじょ:共に助け合うこと)が、いつしか「入らなければいけない」「やらなくてはいけない」という "義務" にすり替わっている場合があって、悲しい気持ちになる。

 

「何でもいい」と思う。それが地域を、自分が住む場を豊かにすることなら。何なら、今はできなくたっていい。仕事を引退してからでもいいと思う。

仕事をしている「今」は家庭(または自分)と社会を支えているので精一杯なはずだから。

 

ニュースの最後でも触れられているが、「寛容さ」が無くなると、最後は行政に頼るしかなくなる。しかし、行政サービスも限度がある。

 

行政サービスの限界→「何もしてくれない」という(誤った)行政不信→参画意識が弱まる→社会が停滞する→他人に対して不寛容になる、という悪循環。

 

個人的な見解だが、今、学校現場ではPTAにも似たような事が起きている。

 

「役員を◯人選ばなくてはいけない」

「◯◯という仕事をしなくてはいけない」

 

決める側の先生も、参加する側の親も義務にすり替わってしまっていて、苦しくなっていないだろうか。

 

町内会もPTAも、本来は住む人や子どもの為に「出来ることをしよう!」という助け合う組織だったはずだ。

 

もしもこのブログを見ている人が、そうした仕組みに携わる人であるなら、ぜひ原点に戻って「何のため」の組織かを考えてほしい。

 

参加する側の人が見ているとしたら、どうか自分にも他の人にも寛容であってほしいと思う。できない時は頼っていいのだ。そして、できない人に手を差し伸べてあげてほしい。その思いは、必ずブーメランとなって返ってくるから。

 

情けは人の為ならず、でありたい。